私が20代前半の時に保護猫掲示板で見つけた子。
飼い主が夜逃げをしてしまい、置いて行かれた猫2匹の間に生まれた5匹のうちの1匹だった。
夜逃げした人のご家族の方が気付き、置き去りにされた猫を保護してくれた。
保護した時にはもう生まれていたらしい。
保護してくれたご夫婦は保護猫活動をされていて、自宅にも猫がおり子猫5匹+親猫2匹は流石に飼えないとの事で里親掲示板に載せたと聞いた。
元旦那が選んだ子だった。
離乳と同時に我が家へ来た6月生まれの小さな男の子。
ちょっぴりビビリで優しい甘えん坊。
名付けは私がした。ここで書く事はできないのが残念だ。
私が過去に関わっていた人達、母方の親族にバレてはいけないので、詳しい事は書けない。
過去については今後、毒親ブログの方で書いていくのでそちらを見てほしい。
離婚する時、元旦那は先代を鬱陶しいと言い邪魔そうにしていた。
私が引き取ると言ってもすんなり承諾してくれた。
結婚前から毒親から逃げ切るまで、ずっと一緒にいてくれた子。
私の大切な宝物。
もうすぐ16歳になるというタイミングで先代は老衰で亡くなった。
これまで大きな病気はなく、健康体。
5歳ぐらいの時に1度尿結石になりかけたが、早期発見できた為、医療食で回復した。
あまりにも痩せ、心配になり血液検査もしたが数値は正常。
老衰なら仕方ない事だけど、なんとか元気になって欲しいと思っていた。
私の思いとは裏腹に最後の2週間はどんどん動けなくなって、食べなくなって、辛かった。
尻尾も動かせない、目線も動かず、瞼も閉じれない。
医師の指示の元、自宅で皮下点滴をしたり、2時間おきに寝返りを打たせながら排尿を促したりした。
ちゅーるーを溶かした水を与えたり、ペースト状のご飯をシリンジであげたり。
それでも強制給餌を嫌がり、自分がしてる事は正しいのか悩む日々だった。
食べさせなければ死んでしまう。でも嫌がる強制給餌をするのは私のエゴなのか?
答えが出ないまま、強制給餌を続けた。
心配で全然寝れず、何をしても回復せず辛かった。
朝方5時ごろに少し痙攣があり呼吸が荒くなった。
必死に名前を呼んで、「愛してるよ。」と沢山言った。
落ち着いたタイミングで「抱っこしてもいい?」と聞いた。
ほんの少しだけ目線がこちらに動いて、「いいよ」って言われた気がした。
抱っこして目線を合わせた。
大きく呼吸を2回して、痙攣して突っ張っていた足の力が抜けた。
最後は腕の中で目線を合わせ、安らかに逝ってくれた。
先代 2024年5月10日 5時10分 永眠
我が子であり、彼氏でもあり、旦那でもあり、特別な存在だった。
お骨にするまでは毎日隣で眠った。
先代がいなくなってからは自由だ。
部屋もずっと綺麗だし、特にやることがない。
そう、私には何も無くなってしまったんだと実感した。
朝早くに目が覚めて、ぼーっと過ごす。
寝る時間になるのをひたすら待つ。
寝る時間になっても、ああすれば良かったのか?こうしたら良かったのか?とぐるぐる考えるのが止まらず、睡眠薬を飲んで寝る。しばらくこれを繰り返した。
昔のように自傷行為に走ったり、考え過ぎてこれ以上メンタルを病むぐらいなら寝てしまうのが一番だ。どんなに考えたって先代は返ってこないし、過去の行いを変える事もできない。
お骨になってしまった我が子を部屋に置いて、喪失感が増した。
「これからもずっと一緒に居たい」
そう思い遺骨リングを作る事にした。
遺骨リングについては別記事にまとめたので、そちらを見て欲しい。
遺骨リングができるまでは、カプセルにお骨の一部を入れて持ち歩いた。
離れるのが怖かった。
約16年も一緒にいた子が突然居なくなったら、悲しいのは当然。
人間よりも寿命が短いのだから、仕方のない事。
涙が止まらなくても、受け入れなきゃいけない。
この記事を書いてる間も、思い出して涙が止まらない。
もうすぐ君がいなくなって1年経つんだね。信じられないよ。